コラムその3 「翔風館お引越しの歴史」
その2)のコラムにもありましたが「翔風館研究会」の開催場所は当初とある将棋道場の片隅をお借りして開催しておりました。
これは1991年7月の「第1回」から1999年12月の「第100回」まで続き、まさに「キリの良い」ところで2000年1月の研究会から大幅に変更して公共施設をお借りする形での開催に変更いたしました。
当時は館長が埼玉県に在住していたことや「翔風館支部」の所在地が埼玉県だったことで埼玉県の公共施設を利用していました。
盤駒や対局時計の確保、運搬など悩みどころも多々ありましたが環境の変化による新たな発見などが楽しく約7年にわたり継続することが出来ました。
そんな折「研究会専用の場所を確保する」という決断に至ったのは全くの「不純な動機」によるものでした。
上記備品の確保や運搬は館長の仕事として自家用車を駆使してこなしていましたがある日気づいたのが「これって打ち上げでお酒飲めないじゃん!」というものでした。
まぁ「車を運転する者が飲めない」のは当たり前なのですが2000年代前半は研究会後の打ち上げも盛んで参加者が20名を超えることもしばしば。
お酒好きの館長としてはソフトドリンクで付き合うのもなぁと考えてしまったのです。
そんな不純な動機(!)で動き始めました。
当初考えていたのが「廃校の利用が出来ないか?」というもの。
これは2004年くらいに何気なく見ていたテレビ番組で「東京都内でも廃校になるケースは多く空いてしまった教室等の利用に試行錯誤している」という特集が頭の隅に残っていました。
当時の動きとしては埼玉地区長である吉田副支部長に「こんな番組をみたんだけど埼玉県で事例ない?」と問い合わせた程度だったのですが本格的に調べてみることに。
しかし現実はそう都合よくできておらず挫折。
それでもあきらめきれずに今度は「廉価で借りられる倉庫などを利用できないか?」と調べてみました。
当時は月一回の研究会くらいしか利用が思いつかず(館長も会社員として働いていたので教室開講などは考えになかったです)とにかく「固定費」が出来るだけ抑えられたらなぁというもの。
「文京区音羽で月6万円!」と破格の物件を見つけたのですが契約済でこれも挫折...だったのですがこの時に縁を得た不動産会社さんのホームページをちょくちょく覗くように。
そんなこんながあって(固定費は当初の予定を大幅に上回ってしまいましたが)2007年文京区音羽に最初の「翔風館」が誕生しました。
約12坪とこぢんまりとしたところで当初はそれでも問題なかったのですが広い場所を求め2011年に江戸川橋駅の反対側(新宿区山吹町)に移転しました。
広さは1.5倍になりましたが当然お家賃も1.5倍に。
プレッシャーを感じたのはもちろんです。
奇しくもこちらを契約したのが2011年3月11日。
そう、東日本大震災の日です。
契約後所用があり、未曾有の大震災後に何とか翔風館近くまでバスで移動出来て降りたときに感じた妙な静けさといつもと変わらないような穏やかな空がいまだに忘れられませんね。
(結局その日は動きが取れず翔風館でほぼ一睡もできない夜を過ごしました)
そんな奇縁で契約した「2代目翔風館」の広さと東日本大震災で去来した様々な感情が「脱サラ→翔風館将棋教室」の設立につながっていきました。
とは言え最初は大苦戦で試行錯誤の日々。
そんな中2015年に「固定費を少し抑えられれば」と再び動いて引っ越したのが現在の翔風館です。
再び「文京区音羽」に戻ってまいりました。
若干狭くなりましたが実はこの物件一度検討したことのある「幻の恋人」で偶然にびっくりしたのが正直な感情でした。
これは全くの偶然とは思いますが「こちらの移転」が良かったのかこの後の教室運営などで「運気がグッと上がった」のを感じました。
環境の変化で離合集散ももちろんあるのですがこの時は良い方向に進んでいけたのかなと。
何らかのやむを得ない事情が発生すれば別ですが当分はこちらのままで「文京区音羽の将棋教室」として皆様のお役に立てればよいなぁと考えております。
教室や研究会、イベントなどで皆様とのご縁を頂戴出来たらうれしいですね。
お気軽にお問い合わせいただけたらと考えております。